催眠療法−心因性健忘症 1−
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運転が出来ない(車の操作を忘れる)
男性 20代
・主訴 心因性健忘症(車の操作を忘れる)
・心理カウンセリングにて
車の運転が出来ず仕事に行けなくなったと来院しました。発症して半年、薬の服用は無しでの来院です。生育過程は問題ありませんでしたが、本人は口数が少なく余り話そうとしません。夫婦関係に問題があるように思えました。会社の人間関係も問題なく、仕事も順調です。
トラウマを探っていくと、結婚して子供が生まれ、妻が休養の為実家に戻ったころから変わり始めました。10日ほどで戻ってきたのでが、それからも週4日ほど実家に戻ってしまう日々。彼は余りいきたくなかったのですが、食事や洗濯の関係で渋々行って妻の実家から出勤するという状態です。
2ヶ月して、「この生活では家賃など、お金がもったいない」など色々話がでて、妻の両親との同居を半ば強引に押し切られるかたちで家に入りました。これだけならばまだ良かったのですが、段々食事も1人で冷たくなった物を暖めて食べる、お風呂も熱くなっていないなど、妻の家族の中に入っていけず、1人割り当てられた部屋にこもる生活です。次第に「俺は何の為に働いているのだろう、誰のために頑張っているのだろう」という気持ちで一杯になります。
子供も義父母が独占しているので好きに抱くことが出来ません。このような生活に嫌気が差したのでしょう。ある日、帰路の途中、降りる駅に降りたら妻の実家に帰る道が分からなくなってしまったのです。途方にくれ実父に電話し、車で迎えに来てもらい、妻には自分の実家に泊まると連絡を入れます。
翌朝出社しましたが日を追うごとに、妻の実家がある駅を降りると気分が悪くなり、ベンチに座り込んでしまうほどに進行してしまいました。それからどんどん症状はふくらみ、駅から車に乗って妻の実家に行くのに、車の操作が出来ません(忘れる)。こんな状態で会社の方も長期休暇を取ります。このように原因がしっかりつかめれば解決も出来ます。車の運転など、出来なくなってしまったことを順番にクリアし無事に終了しました。
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しかし、このような生活を続けるのはどうかなと思い、妻と義母に来院していただき良く説明して、「妻の実家と彼の実家の中間くらいに家を借りて生活してみたらどうか」と提案しましたが、「私たちは私たちでいいと思ってやっているのだからこのままでいいのです」とのこと。話をした結果、このような結論に至ってしまったので不安は残りましたが、治療の方は無事に終わったので終了としました。 2年後、彼の叔母が相談に来院された時、彼は離婚したとの話を聞きました。
自分の行動を忘れる 5/15up
女性 20代
・主訴 心因性健忘症
・心理カウンセリングにて
2〜3分前に行ったことが分からなくなってしまうと言います。洗濯機に洗剤を入れ、2〜3分経つと忘れる、食器を全部洗い終わる頃には最初に洗った食器を洗ったかどうか分からなくなるといった具合。こうした症状が生活するうえでのすべての行動に出てしまいます。
掃除も、食事の味付けも、塩を入れたか砂糖を入れたかで混乱するため、味が定まらない。すべてを夫に確認してもらわないとどうにもならなくなりました。特にガスの火を付けて忘れてしまう為、夫も仕事に行けず経済的にも苦しくなり、神経科・精神科を数件回りましたが、最後の病院で「この状態では病院に入れる以外方法が無い」と言われてしまったそうです。
しかし他に何か方法はないかと書店に行き、色々本を読み、催眠ならばどうにかなるのではと夫婦で来院されました。
最初の心理カウンセリングで彼女は「精神病院には入りたくない」と終始泣きっ放し。夫が彼女の手に自分の手を重ねていました。私はその重ねられた手を見て、治る確率は高いと思ったものです。
生育過程にはさほど問題はありませんでした。「いつ頃から?」と聞くと、3人目の子供を産んでからとのこと。
更にカウンセリングを進めると、第1子・第2子は女の子、第3子は男の子でした。第1子はもう何も考えずに育て、第2子はある程度余裕があったようでした。そして第3子の時は「もう2人育てたのだから大丈夫」という気持ちが強かったのですが、違ったようです。
第3子は眠らなかったり、食が細かったりで次第に"何か違う、何か違う"という毎日になりました。分からないから育児書を見たり、自分でも前の夜に明日やることを考えて寝る、そして次の日行ってみます。
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しかし、いくらやろうともうまくいかず、更に本を読んだり自分なりに考えます。この状態が1〜2ヶ月経つと、泥沼にはまったかのように考えても考えてもうまくいかず、もう考えたくないという気持ちが働きます。
又子育てに対する自信喪失、自分のすることすべてに自信が持てなくなり、これでいいのかと考える日々が続き最終的に健忘の症状がでたようです。
治療においては夫の協力も十分に得られたので、かなりのスピードで進みました。ある日、第3子のおむつを替えるとき、以前は見るからに嫌そうな顔をしていましたが、この時はテキパキと嫌な顔ひとつせずこなしていました。この様子をみて最終治療に入りました。
無事に終わり3年経った頃年賀状を頂きました。家族みんな元気にやっていると、そして第3子の大きくなった姿、彼女の晴れ晴れとした笑顔の写真が載っていました。
家事ができない
女性 30代
・主訴 心因性健忘症
・心理カウンセリングにて
長男を出産後、しばらくしてから1〜2分前にした事を記憶から失くしてしまう。(例 ガスに火をつけたことを忘れる洗濯機に洗剤を入れたことを忘れる、掃除・片付け・お風呂掃除すべてを忘れてしまう)
ご主人は火災の危険から仕事に出られらくなり、2〜3ヶ所の精神科・神経科に6ヶ月間程通うも改善されず来院。
原因を探っていくと2つ見つかりました。1つは2人目の子供を望んでいなかった事、2つ目は実母が女性の鏡のような人であった(パートも家事も完璧にこなす)自分はその母の娘であるという事がプレッシャーになっていました。その他生育過程には特に問題はありませんでした。
最初のカウンセリングでは「この方は何を忘れたがっているのだろう?」と感じました。又、ご主人との葛藤も多少心の中に入っていましたが・・・結果的にすべて清算され解決し、これからの生き方を刷り込み完了となりました。
2年後ご家族の写真つき年賀状をいただきましたが、すべて順調にいっている旨が書かれていました。
家事恐怖(内制止) 7/13up
女性 20代
・主訴 心因性健忘症
assneにきび
・心理カウンセリングにて
この1年、炊事も洗濯も掃除も恐くて出来なく、押入れを開けることも恐くて出来ないと来院しました。
朝、夫は食パンで済ませ、夕食はお惣菜を買って、夫がご飯を作る毎日です。彼女はほとんど菓子パンや残り物を恐る恐る食べるような生活です。
彼女は主婦業全般が出来ないと来院しましたから、代わりに夫がやっているようです。こちらに来る前、6ヶ月ほど通院して内服しましたがよくならず、3軒ほど回りましたが止めたということです。
生育過程は小学校から大学まで順風満帆で来ました。学業もスポーツもあまり苦労せずとも出来てしまうほどでした。大学も一流です。そして大学で夫と知り合います。ここがポイントです。歯を食いしばって頑張るような努力をせずに進んできたのです。心の中には自信と、自分は出来るという気持ちが自然と育っていたのでしょう。
結婚前に2年ほど就職して働きますが、何の問題も無く幸せな結婚と進みます。結婚後、子供が出来るまでと、軽い気持ちでパート勤めを始めますが、ここで大きな落とし穴がありました。
優秀ゆえに、パートでありながら責任のあるポストに就きます。しかし彼女なりにいくら頑張っても努力しても思うような成績をあげることができません。人も使えない、人が動かない状況が続きます。それも信頼できる上司に相談できている時は良かったのですが、上司が転勤になり、彼女が1人で頑張らなければならなくなります。
次第に自信に陰りが出始め、『私には出来ない』というつぶやき、やることなすことが全て裏目に出てしまいます。加えて家の経済的な問題がどっと押し寄せます。彼女は、家の足しに良かれと思って始めたパートでしたが、お給料を取るようになり、扶養控除から外されてしまい、夫の税金がかなり引かれてしまう結果となり、ビックリしてしまいました。
この時彼女が心の中でつぶやいたことは『私は何も出来ないんだ、世の中のことを何も知らない、私が動けば動くほど無駄になる、お金が出て行く』です。すると『何もしないほうがいい、すればするほど無駄になり迷惑をかける』という心が動き、結果として何も出来なくなってしまったのです。水道の蛇口を開けることも、電気をつけることさえもです。
心の中で強烈な内制止がかかってしまったのですね。これらを1つ1つ緩めて、ほぐしていきました。そして最後には『私は楽しんでいい、楽しませていい、今も無駄をしていない、今までも無駄なことは無かった』ということをはさみながら治療を進めていきました。
終了後、4ヶ月位経った頃に一度来院しました。ビックリするほどスレンダーになっていたのには驚きました。そして彼女から出た言葉は「先生、毎日毎日楽しくて楽しくて・・・」です。ダイエットの基本、こつはこれにあるのです。又、私は彼女に、治療を始める前のカウンセリングで「大丈夫、貴方が治したければ治りますよ」と言いました。彼女はその時のことを思い出し「先生にあの時治ると言われたけれど、どこをどうすれば治るのかと思いました」と言っていました。
主婦業が恐くて出来ない 追加 11/22up
この方は結婚して4年経っていましたが、子供が出来ない状態でもありました。父母や夫、本人も子供が欲しいと望むのですが、望めば望むほど恵まれません。上記のような症状が完治した後、食事のアドバイス(自然医食)と生活態度、気持ちの持ち方等をお話しました。
そして治療終了後、1年10ヶ月ほど経った頃、急に電話が入りました。「近くまで来たので少し寄って是非報告したいことがあります。子供に恵まれ無事に産まれました」とのことでした。「いらっしゃい」と言い、待っていた所、元気な赤ちゃんを抱いて幸せ一杯の彼女が見えました。非常に私としてもうれしかったです。
急なことでしたのであまり時間が取れず別れましたが、「あの時のままで2年も3年も過ぎてしまっていたらと思うと・・・」と眼にうっすらと泪を浮かべて話していました。
このような時こそ治療家冥利に尽きると言うものです。本当に良かったと思いますし、後の彼女の幸福を心より祈り、玄関から送り出しました。
その時治療に来ていた頃の彼女を思い出し、『この人はあんなにいい顔をするようになったんだな・・・・』としみじみ思いました。
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